父がもう一度出掛けたかった平尾山の麓に行くことができました。
私の父は自身が15歳の時、終戦の年に父親を亡くしました。その祖父の故郷が信州佐久にあると聞いており、幼い頃、父に手を引かれお墓参りに行ったことを覚えています。晩年、病床の父が行きたがっておりましたが、今となってはその場所がいったいどこだったのかわかりませんでした。
父が心のよりどころとしていたその村はほとんどが同じ苗字です。しかも、通常みかけない文字を使っていたため、現在その苗字を名乗っている人のルーツは全てといっていいほどこの村にたどり着くのです。
戦後、当時の多くの人がそうであったように、誰にも頼ることのできない父は、すでに近しい親戚もいないその村の、お寺や神社を訪ねることで心の安らぎを感じていたのかもしれません。
今年になっていくつかの偶然が重なり、生前父がたずねたかった「大本家の龍吉先生」の息子さんにお会い出来ました。そして、本日お邪魔させていただいたのでした。
玄関の奥には「佐藤春夫全集」がありました。
文学になぞ全く親しむ余裕の無い父が唯一知っている作家が「佐藤春夫先生」でした。
それはかの詩人が疎開中、楜澤様の大本家の別棟にお住まいになり、『佐久の草笛』という作品を書かれたことを聞いていたからです。
私が伺ったこのお宅は、大本家の別邸だったそうで、その「佐藤春夫先生」の影響を受けられた大本家のご子息の「龍吉先生」が住まわれ、教師をしながら本を書かれていたとのことです。まさか私が、その「龍吉先生」の息子さんに出会うとは!
実は、昨年父が病院で苗字を呼ばれた時、「同じ苗字ですね」と声を掛けられました。なんと、その方が尊敬する「龍吉先生」の息子さんだったのです。父は人生の最後に、会いたかったけれど、まさか会えるとは思っていなかった方に偶然出会えて大変喜んでおりました。その話を聞いて、私も嬉しく思いましたが、私自身がお会いすることもないだろうと思っておりましたら、いくつもの偶然により、今度は私がその方と出会ったのでした。
さて、私の父は分家の分家の・・・とのことですから、近しい親戚ではありませんが、優しい笑顔が父と良く似ておられました。
ちなみに大本家は造り酒屋だったとのことで、『発酵』が好きな私はなんだか嬉しく思いました。
この日の帰り、小田井という住所に住む遠い親戚の家を探したのですが、道に迷ってしまいました。この小田井宿は戦国時代には大変悲惨な戦場になったと大きな看板に書かれていました。
そういえば、戦国時代にこの村にきた先祖は、敵に攻められて身投げをしようとしたお姫様(?その近くにいた女性かもしれませんが)を助けてこの村での生活を始めたそうです。
・・・・その夜、久々にNHKの「風林火山」を見るとなんと、そこが舞台!
どんな時代であっても、またどんな立場であっても、人の命も自分の命も、一番大切にしたいのは『命』です。必死で『生きて』きた人々の思いを強く感じる不思議な一日でした。